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・知念side





















もがくような苦しさの中で



















顔。






















事態が動いたのは、月曜日

「……伊藤が、辞職届を出しただと?」
「は、はあ……なんでも、入院したらしいっすよ……この前の土曜日に」

その言葉に全身を凍り付かせた

「入院……?」
「はい……」

何故だ

俺が、変に話し掛けてしまったのがいけなかったのか

そんな憶測を一人ぐるぐると巡らせて、冷や汗を拭いながら口元を手で覆う

「なんか、東京の精神病院に入ったとかなんとかって……」
「分かった、もういい、ありがとう」

早口で遮った言葉の中にすら、動揺が隠せない

精神病院だと
やはり先週の様子が少しおかしかった所を見る限り、俺が……

「……知念さん?」

こちらを窺うように名前を呼んだ部下を片手で止めて、また業務へと戻らせる

駄目だ

動きたいのに

どう動き出せばいいのか分からない

「…………」

俯いたまま歯を食い縛る俺は、中学のあの時から全く成長していないままで
罪悪感に引っ張られながら今も生活している

『知念さん』

だがそんな俺以上に、精神を病んで、日常生活もままならない程に、伊藤は苦しんでいる

「……くそ……っ」

痛くなる頭を隠す事なくデスクで抱えた時

「…………」

ポケットの中で、携帯電話が小さく震えた

「……」

眉間に皺を寄せて、正直今あまり触りたくないそれを取り出してみれば

「……!」

着信の先に出ている名前は『香我美』

中学の時に部活の関係もあって交換した番号
あの件以来顔も合わせず連絡も取らず仕舞いだったが、何故かアドレス帳からデータを消していなかった相手から、このタイミングで掛かってきた電話を

「もしもし」

無視するなんて事は、死んでも出来なかった

「もしもし、俺だ、香我美か」

間違いなく、コイツは伊藤に繋がっている
そんな確信のようなものが、自分の中にあったからかもしれない

そしてその予感は

『……うす、お久しぶりです、知念さん』

苦々しいといったように口を開いた懐かしい後輩の声を聞いて

『……ちょっと、相談したい事があるんですけど……』

恐らく的中したんだろうなと、内心で思いため息を改めてついた

「…………」

長期休暇なんて取りにくいこの小さな会社で、なんとか2日分の休みを取り付けた俺は、伊藤の辞職届を横目に足場に職場を後にした

『……伊藤って、覚えてます?』

さっきまで電話をしていた男の声を思い出しながら

『……ほら、中学ん時……』

胸騒ぎのようなものを押し込める

『……アイツ、先週の土曜日に来たんですよ、俺の働いてる所に』

新幹線の券を購入して、深く息をつく

『……整形したいって言って』

どうやら香我美は今、整形外科医として生計を立てているらしい

「…………」

だとすれば、伊藤から見ればなんたる皮肉だろう

まるで当て付けのように、不運にも再会を果たしてしまった相手が、こんな職業で

「……はっ」

いや、それを考えれば俺も同じか

まるで奇跡みたいに
俺たちはこうして、また出会ってしまった

お互いに抱えたモノがこぼれ落ちるように

錆びた鉄が、軋むように



















東京駅に着いたのは、日付を跨ぐ少し前

「……おす」
「……っす、どうも」

待ち合わせの場所には、スーツを堅く着こなした後輩が、無表情のまま立っていた

「……遠い所、すんません……お久しぶりです、休みは何時まで」
「明後日まではなんとか引き伸ばす」

会ってみれば、嘘みたいに代わり映えのしない顔をした後輩の隣に立ち尽くす

「……ホントなら飲み屋でも行きたい所ですけど、生憎……そういう気分になれないんすよね、俺」
「……それは奇遇だな」
「……でも、飲みでもしてねえと……狂っちまいそうなんで、コンビニに寄って、少し買ってってもいいっすかね」

何年振りかも分からない再会に喜ぶでもなく

「お前の家に上がっていいのか」
「そこしか場所ねえっしょ、他人ならまだしも……昔馴染みの、しかも知念さんだからこの提案してんすよ、一応」

淡々と、無表情のまま会話は進む

「……老けましたね」
「……お前もな」

駅前からタクシーでまた移動を始めた背中を追って、住宅街で降りては言葉通りコンビニにふらりと立ち寄る

「知念さん、なに飲みます?」
「……なんでも構わん」
「じゃあ焼酎にしますよ、あと適当に買うんで、好きなの摘まんでください」

次々と籠に入れられていく品物に、相変わらず決断力は早い男だと小さく呟いて

「……買うモンがマンネリ化してるだけっすよ」

独り言に対する予期せぬ返事に、視線だけを宙にさ迷わせた

「…………」
「ああ、マジ適当にしてください……俺特にこだわりとか無いんで」

コンビニを出て歩くこと約5分と23秒

住宅街を縫うように歩いた先にたどり着いたのは、小さなアパート

「……意外だな」

何気無く呟きながら靴を脱ぐ俺に、すぐ返事が返ってきた

「医者の癖にこんなボロアパートに住んでちゃ、おかしいっすか」
「いや、別に」
「不景気なんすよ、どこの業界も」

皮肉ったつもりは無いが、相手にはどうやらそう映ったらしい

「ま、狭いっすけどどうぞ自由に寛いでくださいよ」
「……ああ」

だがそれに対応するのも億劫で、勧められるがまま座って、目の前で酒が入れられていくのを見詰めた

「…………」
「……」

カチカチと響く秒針と、氷が崩れる音が重なった時

「……まさか、」
「…………」

最初に口を開いた香我美の唇を、無表情のまま見据えて

「……まさか、ホントに知念さんが来てくれるなんて、思ってなかった」

本音であろうそんな台詞を真摯に受け止めながら

「……俺、今までことごとく友達って呼べる奴らと関係切って生きてきたんで……今回誰に連絡しようか、マジで悩んだんすけど……」

深く、思慮を重ねて

「……何でか、知念さんにたどり着いたんですよね」

本題に触れる空気が頭上で渦巻く

「……なんで、仕事休んでまでこっちに来てくれたんすか」
「……お前は、伊藤をどうしたい」

お互いの核心に、雑談を挟む隙を取り払って、俺が自ら踏み込めば

「…………」

突如突き付けられた本題に、最初はぐっと押し黙ったその男は

「……とりあえず、謝って、許して貰って……伊藤を立ち直らせてやりたい」

酒を一度強く煽って、苦々しい表情でそう言い放った

「……そう簡単に許されると思うか?」
「……思わねえ、けど、そうするべきだと思う」

二人きりの空間で、視線すら合わさないこの異様な現実で

「それはお前の意見か」
「俺の意見半分、伊藤の思考半分」

お互い抱えた過去の憂鬱と向き合いながら

「……俺は、伊藤と同じ職場で働いてる」
「……!」
「だが伊藤は恐らく、俺をまだ誰だか認知していない」

本当は、逃げ出したいんだ

「だが俺が中途半端に最初、アイツに話し掛けたせいで……伊藤はお前の所にまで辿り着く事になった」
「…………」
「放って、無視しておけばよかったんだ本当は……あのまま、伊藤祐介として、新しい道を歩ませてやればよかったのに……」

お前も、俺も

「俺は、自分自身の抱えたこのトラウマから早く逃げたくて、伊藤にさえ許して貰えれば立ち直るきっかけが出来ると思った」

独りよがりな考えで

「だがどうだ……伊藤は結局、精神病院に入院して、悪化の一途を辿ってる」

本当は相手のことなんてどうでもいいんだ

「お前から連絡が来た時、やっとこの事実に気付いた」
「……知念さ……」
「俺たちは、伊藤が目の前に現れても未だに、自分の事しか考えていない屑なんだよ」

言いたい事を一気に言い終えたせいか、乱れた息を酒で流し込んだ

「……なんで」
「…………」
「なんで知念さんが、そんなに気に病む必要があるんすか……全部、伊藤を虐めてたのは俺じゃねえか」
「そのお前に虐めるきっかけを作ったのは、紛れもなく俺だ」

そう
香我美に責められても俺はおかしくない
全ては俺がちゃんと目をやって配慮していなかった結果に過ぎない

「……考え過ぎっすよ、現に、伊藤は知念さんの事覚えてないんでしょ?」
「覚えていようがいまいが、原因は俺だ」
「原因って……誰がんな事」
「お前も昔俺にそう言った、忘れたのか香我美」
「…………」
「まあ、別に構わないが」

投げやりになったつもりは無いが、投げやりになりたくなる衝動に駆られてしまう

「……とにかく、伊藤に直接会って許しを乞うのは止せ……逆効果に成りかねん」

苦しすぎて、溺れてしまいそうだ

「なら、どうしろっつーんだ……!」
「病院に居るなら、まだそこの医者と話し合う余地はある……医学的に、どう伊藤と関わって行けばいいか、明日医者と話し合おう」

俺を含めた全員が立ち直るには、そうするのが最善の策のように思えて

「……けど、知念さん仕事は……」
「週末ならこっちに来れる」

そして伊藤の件を無視しては、俺は絶対に前に進めない事を思えば

「……俺たちが伊藤を苦しめているのも、またそれと同時に自分が苦しめられているのも明白だ、それは分かるな?」
「……っす」

今回こそ、正しく過去と向き合うチャンスを掴めた気がする













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