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[ゲームの始まり]
木下椿












 悪夢は突然始まった。













ゲームの始まり
















 恋愛は、戦争だ。

「先輩っ」
「ん?」

 まず相手の強味や弱味を見付けて降伏条件を探り伏線をしきつめ、相手が近付いた時に、優しくはにかむ笑顔というスイッチを押して爆発させる。

「お誕生日おめでとうございます、これ……」
「あっ、俺が欲しいって言ってたの……覚えててくれたの?」
「はいっ」

 これでもうあの彼女の心の本部は陥落したに等しい。

「ありがとう、嬉しいよ」
「い、いえっ……!」
「また今度食事にでも」
「そんな……! いいですよ……!」

 また貢がされ良いように弄ばれ、最後には捨てられるのだろう。彼女はあの男との戦争に負けたのだ。

「相変わらず良い男だねえ〜葛城」
「……そうかな?」

 葛城拓哉。またアイツの勝ち。
 百戦錬磨だなあと思いながら、いつも恋愛戦争を制すあの男を教室の窓際にある席からぼんやりと見詰める。
 弄ばれていると知らない筈は無いだろうに、無邪気に頬を赤らめてはにかむあの可愛い女の子を思えば、やっぱり自分には恋なんて理解出来そうにないと頭を掻いた。
 恋愛感情というものは、未だによく分からない。

 だからこそ、あの恋愛戦争をし慣れたような人間を観察してはその中身を探ろうと、こうしてたまに試行錯誤しているものの。さっぱりだ、さっぱり分からない。溜め息をつきつつ、結局自分には関係ないからまあいいかと、今日も諦めモードに入った。

「つーばきー!」
「うあっ、なに…!?」
「なにじゃないよ〜、次体育じゃん!行こ!」
「……はーい」

 平凡。これはもはや自分の代名詞なんじゃないかと思う。
 頭脳、友人関係、家庭。その全てを取ってみても、全てが普通。

「葛城〜!次の体育サッカーだってよ〜」
「サッカーかあ、楽しそうだな」
「がんばってね拓哉!」
「ありがとう」

 そしてあの教室の中心で少女漫画さながらの美しさやかっこよさを振り撒きながら、キラキラ輝く会話をしているのが、映画で言えば主役級の人びと。
 その中でも特にイケメンと呼ばれ、人当たりが良く誰にでも優しく、女の子にはタラシで毎日取っ替え引っ替えしてるのに憎めない「良い子」代表、それがあの葛城とやらにあたるらしい。
 誰かがそう言っていた。

 まあここから見る分には良い観察対象には違いない。世界も違いすぎる上に、向こうは自分の事なんか気にもしていないだろう。
 その程度の認識だった。

「ねえねえ、木下さん」

 そう、五時間の授業が終わったこの瞬間までは。

「……え?」

 体育着を片手に持ったまま突然、本当に突然あの葛城拓哉に呼び止められて、思わず固まる身体。

「木下さんってさあ」

 なんだ。何なんだコイツは。
 初めて話し掛けるアタシみたいな女相手にでも、こんなに爽やかで砂糖より甘い笑顔を向けるのか。

「俺の事好きなの?」

 そんな馬鹿げた思考も、更に馬鹿げたこんな言葉でピシリと固まっていく。

「……はい?」

 すき。スキ。隙?
 え、なにちょっと待ってなんの事ですか?

「えっ……椿、葛城くんの事……」
「いや違う違う全然違うから」

 かなり混迷を極めた頭で、友人のゆう子が出した台詞に対し即座に重ねた否定。

「え?違うの?だっていつも俺の事見てるじゃん」

 余裕がにじみ出した声にふと葛城の顔を見れば、案の定にやにやしていて不意に苛立ちが込み上げてきた。
 ……この野郎。イケメンだからって簡単に誰でも彼でも惚れて貢ぐと思っているのか。
 でもそんな事は死んでも言えない。
 何故なら自分は平凡で、目の前のコイツはクラスのイケメン、その上良い子という立ち位置なのだから。

 周りの女の子達が、アタシがどんな返事をするのかをじっと見つめる中、取り敢えず当たり障りの無い答えをそれとなく考えてから口に出した。

「……あ〜、ごめん。アタシ、昔から好きな人が居るんだ」

 その言葉を聞いて反論しようとした笑みを崩さない口元を見て更に追い討ちを掛ける。

「それに、葛城くんみたいな良い人は、アタシなんかには釣り合わないよ」

 全くもってその通りだと言わんばかりに、美少女のユリカちゃんが遠くでくすりと笑う。
 そうだよね。アタシだってそう思うよ。

 こんな奴の気紛れな暇潰しをまともに受け取って、わざわざ面倒ごとに巻き込まれたいなんて趣味は持ち合わせていない。
 男なんかより女の子といつでも仲良くしてたい。
 だって女の子は可愛いし、可愛いしとにかく可愛い。そういう意味でじゃないけれど、女の子が好き。
 そう、平凡に平凡らしく今日まで女の子と共に歩んで来たんだ。
 そんな穏やかな日常を、こんな只のイケメンに潰されちゃ堪ったもんじゃない。

「そーいう訳なんで、次体育だからもう……」

 適当に言葉を濁して立ち去ろうとした右腕を掴まれたような感覚によろける足下。

「木下さんの好きな奴って、誰なの?」

 完璧な笑顔で問いかけてくるその様子は、まるで恋愛映画のワンシーン。

「…………」

 ああ、なんて面倒な男なんだコイツは。

「あー、とね……」

 大きなため息をつきながら、窓の外を見て思考を巡らせる。
 ……これはさっきの返答の仕方を間違えた、好きな人なんて誰も居ない、そう答えるのが一番正しい回答だったと後悔すら混ざる。
 それにしても困った、別に好きな男なんて居ないのに、答えろといった空気だ。嘘をついていましたなんて今さらばれたら、余計にややこしい事態に陥りかねない。

 しかしクラスに居る普通の男の子が好きだなんて答えれば、その子に迷惑が掛かるだけでなく、女子陣にも葛城くんすっ飛ばしてそんな男?ふざけんなよと脅される確実に。

「木下さん」

 誰か。コイツと張り合う奴でアタシが到底手が出せないような男。
 周りに失笑されて、なんだまあそんな人好きになっちゃったんなら、葛城くんの面子も保つし仕方ないか。ま、アンタみたいな凡人が好きになるにはおこがましいけどね。なんて具合に事が収まりそうな奴は居ないのか。
 巡り巡る頭の中で冷や汗垂れ流し、前を見据えた瞬間。

「なに?言う気になった?」

 ある一人の男が頭に浮かぶ。

 ソイツはこの爽やかで甘くて優しくて頭脳明晰な『良い子』と呼ばれる葛城拓哉とは正反対と位置付けられている男。

「ひいい!もう止めてくれえ……!」
「…………」
「痛っ……!」

 冷酷で残忍で暴力的で誰も近寄れない『悪い子』と認定された所謂不良。

「頼む……!頼むよ神谷!」
「……気安く俺の名前を呼ぶんじゃねえ、クズが」

 神谷リョウ。

 顔だけ見れば強面の男前、その実態はこの学校一の悪党……いや悪魔とすら謳われている。葛城拓哉の甘い顔とは違い、鋭く切れ長な瞳に何を考えているのか分からない無表情をいつも張り付けて、黒に近く、その中に混じる赤っぽい短髪を風に靡かせながら、形の良い唇にはいつも煙草がくわえられている姿をたまに見掛けたことを思い出す。

 葛城も不愉快では無い程度に制服を着崩してはいるけれど、神谷リョウに至っては最早論外。ズボンは辛うじて学生ズボンだが、学ランの中に着込んだ服は洒落た柄シャツやら上品なシャツやら……とにかく奴はほぼ私服に近い。しかもあまり学校に来ない。

 しかし厳ついイケメンと呼ばれる部類の奴ならば、誰も文句はあるまい。

「……神谷?」
「……うん、そう」
「木下さんは、神谷が好きなの?」

 目の前の葛城拓哉は、一瞬全ての表情が消えたような顔をして、その後直ぐ様いつもの柔らかく、でもどこか不気味な笑顔を浮かべた。

「……まあ、うん」
「そっかあ〜」

 アタシと葛城拓哉という、未だかつて無いアンバランスな人間同士の会話にざわつく教室。

「……ふざけた事言うのも大概にしときなよ」

 だけどそんなざわつきは、その冷たい声によって見事に静まり返る。

「あのクソ神谷と俺を同じ天秤にかけるなんて、中々度胸のある女だね」
「……!?」

 その中未だ張り付けられた奇妙な笑みに、凍り付く背筋。
 ま、まずいまさかとは思うけど、葛城は神谷リョウと仲が悪かったのか、知らなかった……いや、興味もなかった。

「俺……木下さんの事、好きになっちゃった」

 だけど聞こえてきたそんな言葉に、さらに凍り付く。

 嗚呼、こんな教室で。なんてことだ。

「……葛城くんが?」
「なに?」
「椿の事……」

 その瞬間、自分の平凡な学校生活が一気に終わりを告げる音が、耳元で聞こえた。
 それは順調に積み上げて来たブロックが一気に崩れていくように。大きく。








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