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木下椿



 朝、眠たい頭を引きずって学校に足を進めて無言のまま教室の扉を横に引けば、何時も通りざわついていた教室。

「おはよー椿」
「おはよ」

 その事に少し安心したと同時に、チャイムが鳴った。
 昨日のあまりに非現実的な葛城拓哉とアタシの会話は、根本的にタラシな葛城ならば誰にでもやり兼ねない。ただ単に自分は気紛れの標的だった。
 大体あの葛城が自分のような女を好きになるなんて有り得ないと、クラスの女の子はそう思ってくれたんだろう、有難い。

「椿」

 一安心して項垂れていた時誰かが近付いてきて、その聞き覚えのある落ち着いた透き通る声に顔を上げた。

「あー、おっはよ〜萩原サマ」
「どうやら昨日は面倒事に逢ったようだな」

 今日も真っ黒な髪を真ん中分けにしている、ショートカットを揺らした美女。
 最愛の姉貴分、クール女王萩原サマの眼差しに緩む頬。

「まあね〜」
「葛城拓哉か」
「そ」

 この威厳すらあるお堅い話し方まで似合う冷静沈着っぷりとかっこよさに、思わず結婚してくれと叫びたくなる衝動をなんとか押し殺し、へらりと笑む。

「奴が椿みたいな女に何の用だ」
「そーなんだよねえ、アタシが聞きたいわ。ってか萩原サマは昨日どったの」
「体調不良だ」
「え、大丈夫?」
「今夜飯を作りに来い」
「勿論喜んで」

 席が前後のお陰で、こうやって話している内に仲良くなっていった人は優しく、また頼もしい。
 自分は女の子にとことん尽くすタイプで、彼女は絵に描いたようなツンデレ。

「今晩さ、すき焼きしていい?」
「ああ」

 頭脳明晰・運動神経抜群なこのパーフェクト美女の弱点を唯一知っている自分にますます笑みが止まらない。

「部屋は綺麗?」
「まあな」
「洗濯物は?」
「それなりだ」

 こんな神経質そうな顔をしているのに、家事全般と料理が驚くほど出来ないなんて、どれだけアタシの心をくすぐれば気が済むのか。
 忙しいご両親は時間に追われていてほとんど家に帰らない間、いつの間にか頻繁に萩原サマの家に訪ねては、掃除から洗濯から何からまでをこなす役割を担っていた自分の役得感は否めなかった。

「あー楽しみ〜」


 女の子好きな自分としても楽しいし、包丁なんか萩原サマに持たせるのは怖い。
 何より不意に口に出してくれる台詞の雨。

『私は椿さえ居れば生きていける』

 それには鼻血を吹き出して、男に生まれたかったと心底思う。

「椿、その間抜け面は止せ」
「え。あ、ごめんごめん」

 一体どんな面をしていたのか。綺麗な指先にデコピンをくらって苦笑いをしていれば、まるで語尾に音符が付きそうな勢いで割り込んで来たのは、寒気がしそうな程明るくて爽やかな声。

「きっのしったさんっ」

 それを冷ややかな眼差しで見る萩原サマと、相変わらず誰にでも甘く切り返す葛城拓哉。

「おはよう萩原さん、今日も綺麗だね。ああそうだ木下さん、ちょっと話したい事があるんだけど今大丈夫? いけるよね」
「え、あっ……ちょっ……!」

 急に腕を掴まれたかと思えば引っ張られて、怖いくらい静まり返った教室から外に連れ出されていく。突然すぎるその流れには、さすがに動揺が隠しきれなかった。

「なっ何?!なんなんですかマジで……!」
「ちょーっと屋上にねえ」
「椿!」

 その途中。冷静沈着な顔をしたまま物凄い早足でアタシを追いかけてきた萩原サマに、情けない顔で振り返る。

「おっと萩原さん、どうしたの?」
「ソイツを連れてどこに行く」
「んー?萩原さんには関係ないでしょ〜?」
「ある、ソイツは私の親友だ」
「まさか着いてくる気?女の子って、ホント団体行動が好きだねえ」

 柔らかい声なのに冷たい台詞と、感情を出さない落ち着いた声が前後で会話を繰り返す。

「私は団体には興味は無い、だが椿を厄介事に巻き込まれるのは御免だ」
「なになに、もう彼氏みたいじゃん!萩原さんってまさかソッチの人?」
「馬鹿も休み休み言え、お前の下らない冗談に付き合っている暇はない」
「あーあ、顔は好みなんだけどなあ……強すぎる女って俺苦手〜」

 自分が入る隙もない緊張感を帯びた言葉と一緒に、どんどん階段を登っていく憎い程長い脚に何とかついて行く。

「お前みたいな男が、椿に何の用だ」
「俺みたいな男ってなに〜?モテるイケメンって事?」
「……おめでたい奴だな」
「相変わらず言うね〜」
「コイツを一体どうする、お前は何を企んでいる、その意図は」

 そして屋上の前の扉に辿り着いたかと思えば、アタシの腕を強く掴んだまま、奴は反対の手でドアノブに手を掛けてそれを手前に引く。

「困ったなあ〜、アンタが介入してくるとか予定外」

 言葉ではそう言いながらも、全く困ってなんかいなさそうな声で、むしろ今の状況を楽しんでいるかのように揺れた綺麗な前髪。

「ま、障害は多ければ多い程面白いけどね」

 吹き込む光の嵐に、こちらまで細めた目。

「じゃあ俺達の話……聞いてってよ、萩原さん」

 この先には、一体何が待っているのだろうか。








 初めて足を踏み入れた屋上は、酷く風が強い。

「ごめんね〜、朝から呼び出しちゃって」

 そんな中、目の前で綺麗な顔をした男が笑う。

「呼び出した?無理矢理連れ出したの間違いじゃないのか?」

 真横で冷たい声が発されて、遮断される意識。

「部外者は黙っててくれないかな」

 大体今目の前に居るこの人間は、本当に葛城拓哉なのだろうか。
 いい子と言われていた男の面影は微塵も無く、顔には不自然な笑みが張り付いていて。甘い声すらどこか冷酷そうに聞こえて鳥肌が立つ。

「アンタの前じゃ演技するのも疲れるよ」
「下手な芝居なら始めからするな」
「同じ種族じゃない、なに?同族嫌悪?」
「お前みたいな奴と同族になった覚えはない」
「まったまた〜、冷たいんだから〜」

 不意に向けられた視線に、凍り付く背筋。

「……って、俺は萩原さんに用はないんだって。ねえ木下さん。俺、いや、俺達とゲームしない?」

 その台詞に、何故か冷や汗が全身を伝う。

「……ゲーム?」
「そ、ゲーム」

 訳がわからなさすぎるこの状況に思わず隣の萩原サマを見れば、自分とは違い無表情で真っ直ぐな瞳は、前に居る葛城拓哉を見据えたまま言葉を発していく。

「何のゲームだ、椿にメリットはあるのか、俺達とは誰だ」
「あーもう煩いなあ。話終わるまで首突っ込まないでくれないかな!」

 やっぱり聞かれない方が良かったなんて、大袈裟な素振りで頭を掻いた後、残酷で理不尽で、果てしなく真意の掴めない台詞の雨は続く。

「ゲームはゲームだよ、木下さんにメリット? そうだなあ、ないんじゃない?」

 強いて言うなら平凡な日々がちょっと刺激的になるっていう位かな。軽くウインクなんかしてそう告げた男の背後から、また目を細めるほどの強い嵐が吹き荒れる。 

「……なっ」

 言われた事に追いつくのに必死で唖然とした自分を他所に、愉快そうに人差し指を立てた葛城拓哉が小さく笑う。

「1ヶ月。1ヶ月だけ、ゲームに付き合ってよ」

 どうやらこの理不尽なお遊びは、アタシの意思とは関係無く話が進んで行くらしい。

「……椿」
「……ありがと萩原サマ、大丈夫だよ」

 最初から分かっていた事だ。アタシは平凡、コイツは人気者で良い子で男前。女子の間にもあるような、暗黙の了解に近い上下関係にため息をつく。
 めんどくさい。だけど多分この話を断れば、余計にめんどくさい事態になってしまいそうだ。

 たかが1ヶ月。自分が耐えれば良い。

 大きく息を吸い込んで、小さく開いた唇。

「で、そのゲームの内容ってのは?」

 なんでアタシが巻き込まれなきゃなんないのかとか。少し理不尽過ぎないかとか。
 色々言いたい事はあったけど。

「聞き分けがいい子は好きだよ」

 結局自分が巻き込まれたのは、単にあのクラスで最も中立的な立場で、更にこの男にとって脅威にならず、どうでもいい人間だったからだと思わざるを得ない。
 萩原サマのような生徒会長の親戚や、葛城に媚びているような人間を貶めれば、後々事態がややこしくなる可能性があるから避けた。それだけの事だろう。

「木下さんにして欲しい事は1つだけ」

 こいつはアタシにゲームに付き合ってくれと言った。
 一体アタシはこのゲームとやらの中において、どんな役割を求められているのか。

「只流れに身を任せて、決断してくれるだけでいい」

 そうは言われても、ゲームの中身自体があまりよく分からない。

「じゃあ説明しようか」

 そんな内心を見透かしたように、気さくに笑った葛城拓哉が至って軽やかな口調で言葉を発した。

「まず、基本的にこのゲームの参加者は3人」
「……3?」
「うん、俺と木下さんと、リョウちゃん」
「リョウ、ちゃん」
「そう、神谷だよ」

 木下さんが好きな奴。
 そう言われた時に、背筋が凍った。

「ま、それが本当じゃない事なんて分かりきってるけどね」

 目の前の人間の台詞と、普段とはあまりに違うその冷たい眼差し。

「だからその嘘を、本当にさせてあげるよ」
「……は?」

 かろうじて喉から出た声は、自分でも驚く程掠れていて、喉に声が張り付くような感覚すら覚える。

「1ヶ月、この期間の中で俺か神谷が木下さんを落とす」
「貴様、ふざけるな!」
「だ〜か〜ら〜、部外者は黙っててくんない?」

 あくまでもこのゲームの参加者は3人なんだから。
 きつく睨み付けて声を荒げた萩原サマの隣を、葛城拓哉がそう言いながらにっこり微笑んで通り抜ける。

「じゃあ、ゲーム開始は明日から。……色々理不尽な事があると思うけど、挫けないでね」

 最後の最後まで風を巻き込み光の壁を崩す男のそんな言葉を聞いて、空を見上げた。

 なんて憎い程綺麗な青だろう。

「俺を楽しませてよ、……椿ちゃん」




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