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[マイペースな日曜日]

上月しぐれ









 なにもかもが晒された素顔に、回りきっていた酔いが一気に引いていく。

「…………」

 スッと通った鼻筋は高く、薄い唇は上品さを留め閉じられている。シャープな輪郭に相応しい肌も白く綺麗で、まるで滑らかな絹のよう。それに色素の薄い切れ長の目はやっぱりはっきりとした二重で、マスクが取り払われたことにより、ますます明確になる堀の深さ。
 目に映るものが1つにまとまった時、この人が西洋にある彫刻像や絵画作品を彷彿とさせるような、とんでもなく美しい顔をしていたことに初めて気付く。

「……どう、かな。やっぱり変?」

 ただでさえ近かった距離を更に詰められた時ようやく呼吸のやり方を思い出して、次の瞬間にはなぜか変な声が出た。

「……うっ、わあぁああ!?」

 慌てて座ったまま手と足で畳を蹴って、勢いよく後ずさる。
 あんまりに整った綺麗な顔立ちに、同じ男なのに上がる心拍数を押さえようと服の上からぎゅっと心臓のある場所に触れた。

 一見すると優男にも見えるのに、どこか引き締まった男らしい印象も与えてしまう涼やかな顔。眠たげにも厳しくも映る瞳や茶色く柔らかそうな髪が揺れれば、格段に増幅した色気。

「あっ、ご、ごめん……そんなに変だった?」

 部屋の隅まで下がって、背中をぴったりとつけた俺を見てすぐにマスクを引き上げた彼は、困ったように頭を掻く。それに直ぐ様ブンブン左右に首を振って言葉を返した。

「ぎ、逆ですっ!」
「……逆?」

 不思議そうに首をかしげる姿は、マスクをしているからいいものの、さっきの素顔を思い出せばたまったモンじゃない。

「あ、あなた……! お、お、男前過ぎます……!!」

 今までも、クラスや学校に居るような男前は見てきた。時には憧れ、嫉妬もした彼らも確かに男前には違いなかったけれど、この人を見てしまった今、俺の男前の基準や歴史は全て塗り替えられてしまった。

 尋常じゃない。
 こんな男前、見たことがない。世の中にこれほど整った顔をした人が居るのが信じられない。本当に同じ人間なのかと疑ってしまうほどの衝撃。一瞬しか見ていないのに、未だに脳裏に焼き付いて全く離れない。

「……男前? 俺が?」
「そ、そうですよっ……! そんな綺麗に整った顔、見たことありません……!」
「……ええ? なに言ってんの? 嘘でしょ?」

 未だに騒ぐ心臓と熱い頬を必死で落ち着けようとしている俺を、本当に怪訝そうな目で見る人の反応に背筋だけが凍りつく。

「別に、気を遣わなくていいから。おだててないで、気持ち悪いんならそう素直に……」
「あっ、あっあなた……! 自分で気付いてないんですか!?」

 思わずまた離れていた距離を詰めて、眉間にシワを寄せながら両肩を掴む。

「はあ。分かってますよ、俺、変な顔なんでしょう。自分じゃ確かに分からないけど」

 俺もよっぽど必死な形相をしていたのか、驚いたようにこっちを見てくる瞳を守る睫毛が長いことにも今さら気付いて、クラリと目が回る。

「違いますよ……! 変なんじゃなくて、桁外れの男前なんです! だからみんなあなたのことを見るんです!」
「ええー……そんなお世辞言われたって……」
「お世辞じゃありません!!」

 どうして俺が、こんなことを大声で息荒く力説しているのだろうか。
 彼も相当驚いているらしい。ただポカンと膝立ちになって肩を揺さぶっていた俺を見上げていた。

「……はあっ。あ、あの……すみません……大声を出して」
「上月さんは」

 無言の空気にふと我に返った時、皺になっていやしないかとすぐに掴んでいたスーツを離して、軽く手で払う。その右腕を不意に掴まれて問われた声に、灰色の上着からマスクへ覆われた顔へと視線を移した。

「はい?」
「上月さんは、俺の顔を本当に男前だと思ってくれたんですか?」

 何故か低く発された声と同じように、真剣な眼差し。それに素直に頷けば「本当に?」と念を押されて、首をかしげながらもう一度うなずく。

 それを聞いた人は、無表情だった顔を急にふにゃあとやわらげて、至極嬉しそうに言葉を発した。

「俺、男前なんて言われたの初めてです」
「そりゃあ……ずっと隠してたんなら、そうでしょうね」
「ねえねえ、見てください」

 無防備に言葉を返した瞬間、また素早くずらされたマスクと晒された素顔に、一気に熱が顔へ集中する。

「うぎゃっ!?」
「どーです? 男前ですか?」
「お、男前です! 男前ですから!」

 あんまりに綺麗な顔で笑うモンだから、また変な悲鳴を上げて慌てて左側へと視線をそらす。

「俺の顔、好きですか?」
「い、いや、そりゃあ綺麗だとは思いますけど!」
「ホントに? ならもっと見てくださいよ」

 その顔と同じくらい綺麗な指先に両頬を包まれて、優しく正面へ戻された。

「……うっ」
「俺、上月さんにならいくらでも見られていいや」

 同性なのにも関わらず、思わずドキッとしてしまうようなその瞳に今にも飲み込まれてしまいそう。

 まさかマスクの下に隠されていた顔がこんなにも端正だったなんて。しかも本人はそんな自分の顔の美しさに全く気付いていないだなんて。一体神様はどこまで才能を偏らせれば気が済むのだろうか。

「……狡い」
「なにが?」

 全てを諦めて再び畳へ尻餅をつくように座り込めば、完全にマスクを後ろへ放り投げてしまった彼が、甘く笑う。

「……あなた、やっぱり俺以外の人の前でマスク外さない方がいいですよ……」
「なんで?」
「……絶っっっ対にジロジロ見られますから……ますます注目の的です」

 その中にこれ以上モテさせてたまるかという、なけなしの嫉妬心を詰め込んでいることに、この人ならすぐ気付くだろう。

 なのにそれを感じさせないような、とびきり甘く映る微笑みが自分の寂しい部屋に花を散らす。

「わかりました。上月さん以外の前では外しません。見られるの嫌いなんで」
「……絶対ですよ」
「約束します」

 本人が嫌がる訳だ。これは確かに人に見られるだろう。それほどまでに華やかで目立つ顔だ。

「最後に人に顔を見せたのはいつですか?」
「そうだねえ。小学生の時からしてるから、20以上前かな」
「20年!? そりゃ変人って言われもしますよ……」
「はははっ、だよねえ。でもホントに、人に顔を見られるの嫌いだから」

 この秘密の素顔を知っているのが、しばらくの間自分だけだと思えばひどく気分がよく思えるのだから、やっぱりどこまでも狭量な人間だなあと苦笑した。

 その瞬間また不意にこっちを覗き込まれて、跳ねる肩。

「……ねえ、どうしたの。顔、赤いですよ」

 おどけたように頬を撫でてきた指先に律儀に反応してしまう自分が憎い。

「は、羽賀さんの顔が悪いんですよ……!」
「……男前だから?」
「もーっ! どうしてそういう言い方するんですか!」

 暴れても逃げ惑っても器用に顔を近付けては満面の笑みで微笑む人から、部屋中を這って戯れ合う。

「美人に振られて傷心してるあなたを、この男前が癒してあげますよ」
「いやっ、男に癒されても……! あははっ!」

 親友に騙されて以来、こうして友人と呼べるまでの人を作ってこなかったせいか、下らないじゃれ合いがとても楽しく思えた。

「ほらほら、酒もまだありますし飲みましょう。俺も堂々と飲みますよ」

 他愛のない時間がこんなに心を穏やかにしてくれるなんて、今朝の時点では考えられなかった状況。

「じゃあ俺が注いだ酒、羽賀さん一気に飲んでくださいよ」
「ええーっ。ま、構いませんけど。じゃあ注いでちょうだい」

 うるさくなり過ぎない程度に、賑やかな夜は更けていく。

「で、今まで何人と寝たんですか!?」
「そんなに多かないよ。人並み人並み」
「またそうやって誤魔化して! 女たらし!」
「俺みたいなマスク外さない変人にたらされる女も女ですよ」

 カチカチと触れ合うお猪口と、ほぼ空になった瓶の中。

「羽賀さんの素顔見たら、彼女たちは名乗らなくても近付いてくると思いますけどねえ。あなたに口説かれて、落ちない人なんて居ませんよ……」

 本格的に抗えなくなった眠気に逆らわず、ちゃぶ台に頭を伏せた。

 そのままうつらうつらとしている隣で、同じく相当な酒量を飲んでいるはずなのに最後まで酔いの気配を見せなかった人は前をぼんやりと見つめたまま、お猪口に残った酒を一気に飲み干す。

「だといいんですけどねえ……」

 その囁きを聞いて最後、誘われるがまま眠りに落ちた。









「……ん……」

 瞼を開いた瞬間に気づいたのは、鉛のように重い四肢。
 指先一本すら動かせないほど気だるく感じる体とぼやけた意識で布団から部屋を見渡した。

 ――やけに綺麗だ。
 服やゴミや雑誌が1つも落ちていない畳。なんだ、こんなに自分の部屋は広かったのか。

「……っ」

 渋々上体を起こして、頭を掻く。
 重い、痛い、眠い。
 寝ぼけ半分で回っていない思考回路の中、どこからともなく不意に差し出された水の入ったコップに瞬きをした。

「おはようございます。はい、水」

 ゆっくりと声と腕の先を見上げれば、マスクをつけて微笑む、スーツの人。

「食器とか軽く洗わせてもらいましたよ」

 その瞬間、寝起きと2日酔いなんて一気に吹き飛んで全ての出来事を思い出した。

「は、はっ羽賀さん……! おはようございます……!」
「ええ」

 昨日、昨日はなにがあった。そうだ。素顔を見せてもらってちゃぶ台で伏せて寝た。なのに今は敷かれた布団でのうのうと眠っている。

「えっ、あっ、布団……!」
「ああ、敷かせてもらいましたよ。俺の目を避けるように乱雑に押し入れに突っ込まれてたエロ本はきちんとあそこに退けときましたからね」
「ぎゃあぁああ! すっすみませんお見苦しいところを!」

 朝一番から吹き出る冷や汗と引きつった顔に、目の前の人はまたにっこりと笑った。

「いえいえ、気にしてませんから。じゃあ、上月さんも起きたことだし。俺はここらでおいとましますかね」
「えっ」
「水、卓袱台に置いときますよ」

 昨日の無礼な発言の数々や、今の状況を思えばあまりに居たたまれなくなって土下座まで始めようとしたのに、そんな空気を敏感に掴み取ったかのように颯爽と遠ざかる背中。

「は、羽賀さん……!」
「来週こそジョギングですよ」

 あまりに完璧に遠ざかっていく人は最後、悪戯にマスクを下ろしてはウインクなんかして。

「じゃ、また」

 その綺麗な顔に見惚れている間に、有無を言わせないまま扉は閉まった。

「…………」

 唖然とするしかない、夢のような朝。

 結局その日の大半が自己嫌悪で染まったことは、言うまでもない。




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