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[俺が何したってんだ]

前河敦











 ようやく遅れて現れた主役は、無理やり呼び戻したにしてはずいぶん上機嫌で会議室の扉を開いた。

「どーもー。ささ、打ち合わせなんて早く終わらせちゃいましょう。みんな早く帰りたい気持ちは同じですからね」

 なにをぬけぬけと。一体誰のお陰で開始時間がずれたと思っているのか。全員がそう考えてはいても、口には出さない。それよりむしろ胸を撫で下ろしているような雰囲気さえ漂った。
 それもそうか。死んだ魚のような目で、恐ろしく不機嫌な羽賀から無言の圧力を浴びるよりは遥かにマシだ。

「マキノー、資料」
「は、はいっ」

 にっこりと気色悪いほどの笑みを浮かべながら指先とマスクの下に隠された口だけでコイツが指示をすれば、流れるように早く進んでいく打ち合わせという名の独壇場。

「……ふーん」

 紙を受け取って目を通し始めるや否や無表情となった目元と、なんの意味があるのかも分からない嫌な呟きのようなものが発される口。

 羽賀以外が最高に緊張しているような、異様な空気。それを腕を組んで一番後ろの端から全体を見渡すように視界に映す。

「はいはい、成る程ねえ……」
「あ、あの……どうでしょうか……」

 今回の資料を作成した牧野がおそるおそる聞き出すような仕草をしたのと同時に、マスクの男は綺麗にその紙を四つ折りにしてズボンのポケットへと突っ込んだ。

「うん、ま、大体はこれでいいでしょう」
「本当ですか!? ありがとうございます」
「ただ、手配は向こうに任せっきりにしないで気を回しなさいよ」
「はいっ」


 今年の冬には、この化け物の名が全世界に知れ渡る。そう思えば、こうやって羽賀が静かに人目を避けて暮らしていられるのも今の内かと悟って、小さくため息をついた。

「はい、あとはなんだっけ?」

 それからも淡々と進む研究グループのメンバーだけが集まった小さな打ち合わせは滑らかに動いて、1時間も経たない内に全てが終わった。

「はい、じゃあお疲れさま。ということで解散」
「お疲れさまでした!」

 羽賀の締め括る声で次々と会議室から出ていく奴らを珍しく最後まで機嫌よくニコニコと見送っていたような奴が、携帯へ視線を落とした瞬間一気にその空気が変わる。

「……」
「おう、お疲れさん。じゃあな」

 一瞬にして読み取れる不機嫌の色を察したのと時を同じくして、被害をこうむるまいと素早く片手を上げて部屋から遠ざかろうと出口へ一直線。

「はーい、ストーップ」

 扉を開けて半分乗り出していた体の残してきたもう半分の方の肩を、ガッと音が鳴るような強さで突如掴まれた。

「まぁーえーかーわー、お前まさか上月さんとなにかあった訳じゃないだろうねえ」

 なんだ。何なんだ。

「はあっ!? バカ言うな!」
「ふーん。ま、いいけど」

 機嫌がいい訳でもないのにこれだけにっこりと笑われていると、逆に怖くなる。

「……おい、いい加減手ぇ離せよ」

 痛い痛いと体をよじってなんとか払い落とせば、ふとその顔からも全ての感情を消した男が再び低く問う。

「上月さんが、お前も飯に誘えっつってんだけど……どうせこの後暇でしょ。来なさいよ」
「……この空気で、俺が行くって言うとでも思うか?」
「なにもやましいことがないんなら、来ても問題ないだろ?」

 表情が消えたせいで、コイツがなにを狙っているのか分からない。
 その中でも瞳の奥が計算で埋め尽くされているを垣間見て、目を細めた。

「……はあっ、分かったよ」

 羽賀の思考を読むだとか、裏をかくだとか。そんな無駄な努力はとうの昔にやめた。
 俺みたいな凡人がなにをしたって無意味だ。好きにさせておけばいい。やましいことなんて、本当になにもないのだから。

「そ。んじゃ、行きますか」

 ゆらりと会議室から出ていく背中を追って、後ろに続く。
 羽賀の名前は知っていても、外見を知らない人間が多いお陰で、すれ違ってもバレやしない。

「俺が上月さんちまで先導するから、ちゃんとついて来いよー」

 研究棟から出て、帰宅ラッシュの始まった賑やかな駐車場。そこでさも当たり前のように淡々と発された台詞があまりに予想外で、思わず体ごと振り返って大声を出してしまった。

「はっ!? アイツん家で飲むのか!?」
「そ」

 焦りが滲んだこっちのリアクションにも相変わらず素っ気ない返事ひとつで車に乗り込んだ羽賀に肩をすくめて、結局俺も大きなため息をつきながら自分の車へと乗り込む。

 道中、酒屋に寄ったかと思えば、また入手困難と名の付く高価な日本酒をなに食わぬ顔で受け取っている姿を見る限り、本当に今からあの事務君の家で飯を食うのを楽しみにしているらしい。

 こりゃあ長居は出来ねえな。さっさと胃に食い物だけ放り込んで帰った方がよさそうだ。

 羽賀がいかにも嫌いそうな古びた質素なアパートの階段を軽やかに登っていく背中を見て、余計にそう思った。

「ああ! どうもお疲れさまでした。案外早かったんですね」

 インターホンを押してしばらく待てば、気さくな笑みで扉を開いた男の後ろから、なんとも食欲をそそるような匂いが鼻をついて思わず繰り返した深呼吸。

「あっ、前河さん! どうもこんばんは、すみません急にお誘いしてしまって」

 日も沈んだ藍色の夕暮れに包まれた外を、開かれた扉の隙間ぶんだけ白い室内用照明が足元だけ照らす。
 久しぶりだ、誰かの家にこうやって邪魔するのは。
 さっぱりと明るく、それでも控え目な笑みに言葉を返そうとした刹那、それよりも早くに羽賀が口を開いた。

「やーね、いいんですよ。どうせコイツ、帰ってテレビ見て寝るくらいしかしてない暇人ですから」
「失礼な奴だな……余計なお世話だ」
「はははっ、まあどうぞ、上がってください」

 それに導かれるがまま中へ足を踏み入れた背中にならって、同じように靴を脱いで上がる。

 自分の部屋とどこか似た作りをしているせいかやけに落ち着く畳のワンルームは、生活感が押し出された普通の男の部屋。

「まさかこんなに早いと思ってなかったので、実はまだ作りかけなんですよねえ。すぐ用意するんで、もう少し待っていてもらえますか」
「ええ、待ちます待ちます」

 そうは言っていても、腰を下ろしたちゃぶ台にはもうそれなりの料理が並べられていた。決して彩り鮮やかな見た目とは言えないが、同じ男なだけあっていい具合にガッツリと食えそうな男飯。

「よければ飲み物先に飲んじゃってください、ビールありますよ」

 またこっちの気持ちを察したかのようにいいタイミングで発されたビールの響き。喉が鳴ってしまうのは当然だった。

「あはは、前河さん、よければ注ぎますよ」
「おっ、いいのか? 悪いな」

 勧められるがままコップに注がれたビール。よく気が利く男だ。そのまま羽賀にも笑顔で瓶を傾ける姿を見ながら、そう思う。

「あっ、もう出来たかな」

 俺たちに酒をお酌したあと、たたたと台所へ戻っていった背中は、コンロの上に置いた鍋の火加減だけ調節して、またこっちを振り返る。

「気にせず飲んでくださいね。実は俺も、お2人が来る前に1本チューハイ空けちゃってるので」

 はにかんだようにそう笑って、隠していたらしい缶を見せたあとまたこっちに背中を向けて事務君が作業を始めた時だった。
 なぜか真横から脇腹を思い切り殴打されて、ビールが並々と注がれたものを握った手にも力が入ってコップが軋む。

「……っでえ……!?」


 一気に飲む気も失せるようなその鈍痛に当然の如く隣を睨めば、見えた顔に血の気が引いていく。

「…………」

 光の当たる場所では左手でちゃぶ台に肘をつき頬杖をついて台所を見詰めながら、幸せで仕方ないといった顔でにっこりと弧を描く目。だがその台の下、影になった部分では反対の右拳が白くなるほど強く握られ、震えていた。

『カワイくて堪らない』とその真っ白なマスクに書いてあって、その衝動を押し殺す為に俺を反射的に殴ってきたのだとすれば、コイツは本当にヤバイ。そんなコイツを呑気に家に上げてしまうあの男も、また違った意味でヤバイ。

 いやいやいや……今のどこにときめく要素があった?
 分からん。理解したくもないが本当にどうしてもコイツの頭の中が理解出来ん。

「あっ、ご飯よそいます? もう食べてくださっても結構ですよ」

 もはや理解不能な羽賀からずいぶん距離を取った場所に座り直せば、恐らく空腹の俺に対して気を回してくれたのであろう事務君から渡された碗を素直に受け取って、手を合わせる。

「んじゃあ遠慮なく。いただきますっと」

 さて、これでなんの気兼ねもせず飯が楽しめそうだ。

「お待たせしました、カレイの煮付けです」

 それから5分もせずに、最後のおかずが並べられる。どうやら料理も全て揃ったらしい。
 事務君は羽賀と距離を置いた隣、俺と向き合う場所へと座って箸を取った。

「どうです? 味、大丈夫ですか? 俺普段あんまり自炊しないもんですから、不安なんですけど……」

 早食いの癖で豪快に飯を掻き込む俺を見て問われた言葉に、至って普通に返す。

「おう、美味いぜ。これで普段自炊してねえなんてお前すげえな……っでぇええ!!」

 ちゃぶ台の下、胡座をかいている足を話している最中に思い切り蹴られて、変な声と一緒に飯を汚く吹き出しそうになった。

「……えっ? 大丈夫ですか?」
「……あ、ああ大丈夫だ。悪いな……」

 明らかに不審な俺を心配そうに窺う男にハハと引きつり笑いで返して、直ぐ様羽賀を流し見る。

「はい、上月さん、コップ向けて。俺が注ぎますよ」
「あ、すみません」

 優しく笑う笑顔は、デレデレだとあからさまに顔に出ているような下心丸出しな間抜けさで。なのに事務君からは見えない場所では俺という邪魔者に理不尽な暴力の限りを尽くしている。

 この男の二面性がモロに表れている瞬間に違いなかった。

 そうとも知らず至って健全な事務君は、律儀にも初めて飯の席につく俺を気遣ってかやたらと話し掛けてきた。

「俺、本当に前河さんには色々無礼なことをして……すみませんでした」
「まあ、気にすんなよ」

 これが普通の酒の席なら、一体どれだけ楽しく飲めたことか……。

 羽賀からの無言の圧力と、ちゃぶ台の下でいつ飛んでくるかもわからない癖の悪い足に、言葉を選んだ無難で素っ気ない会話しか出来やしない。

 正直、楽しいとはほど遠い夕飯。

 ビールに飢えていたが、おさまらない脇腹の鈍痛で自分が車で来ていたことを思い出して、間一髪のところで麦茶に変えられた所だけは感謝しよう。

「あー食った食った……」

 1時間、羽賀の虫の居所を探りながら神経を削るような雑談を繰り返して、事務君の気を悪くしない雰囲気を作り上げたことを確認してから、帰宅を告げた。

「ああ、そういや今日は用事があるんだった。もっと居たいが俺はそろそろおいとまするぜ」
「えっ、もうですか? 残念です」

 羽賀が俺をここに連れてきた大きな目的は恐らく、俺と会話をさせお互いに少し砕けた空気になることで自然な謝罪を促し、その結果事務君の気持ちを軽くすることだ。
 きっと真面目なコイツの性格からして、事情を知ってからは無礼をしただの申し訳ないだのと、本当に俺のことを気にしていたんだろう。

 なら充分、今日の時間で事務君の罪悪感は薄らいだ筈だ。俺が果たすべき役割はきちんとこなせただろう。

 なによりこれ以上ここに留まって羽賀の顔色を窺うなんて、気分が悪いし時間の無駄だ。

「じゃ、今日は本当にありがとよ。飯、美味かった」
「恐縮です」



 そそくさと立ち上がって、食器を流しまで運ぼうとすれば止められた。

 相変わらずマスクを外さないまま器用に飯を食っていた男は、「よくできました」とでも言いたげな満足そうな眼差しで俺を見上げる。
 それにため息をついて、軽く肩をすくめた。

「羽賀、無茶すんなよ」

 ビールをストローで飲む不可解な光景を見る限り、今日はここに泊まっていく気満々ってか。
 そんな意を汲んで一応悲劇を繰り返さないようにと遠回しに伝えれば、適当に振られた左手。

「はいはーい、ご忠告どーもー」

 所詮俺の人生なんて、コイツに利用され尽くして終わるだけの、そんなちっぽけなものかもしれない。

 だけどコイツは、性格が悪いなんて短所を覆い隠してしまうような大天才。

 俺一人では見れない夢も、時には壮大に語り、また実現してくれる。

「じゃあ、お気をつけて」

 羽賀は俺の夢。そして研究者たちにとっての希望。

「おう」

 お前は孤独だ。だから幸せにならなければいけない。

「じゃあな」

 お前の望む形で。純粋に。

「……ふーっ」





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