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中村イツキ












必死になって、怒って、悲しんだ今日はとても疲れた

「おっす中村ちゃん、もう上がりか?」

あの事件のあと、何事もなく過ぎていった時間

「……斎藤先生」

夕陽が差し込む中、名簿を片手に持った人が俺を見て薄く笑っていた

「……ええ、まあ」
「もし良かったらの話だが、今日飲みにでも行かねえか」

その言葉に少し目を見開いて、瞬きをひとつ

「えっ」
「今日は大手柄だったからな、奢らせてくれ」

職場の人と飲みに行くなんてはじめてだ

「やっ、そんな大手柄だなんて……」
「で?行くのか行かねえのか」

一応は選ばせてくれているようなニュアンスだけど、その瞳が求める答えなんてひとつだけ

「……あ、は、はあ……じゃあ……」
「よっし決まりだ、さっさとホームルーム済ましてくるから、待っててくれ」

案の定嬉しそうに笑った男らしい人は、軽やかな足取りで職員室を後にして

「…………」

俺は軽いため息と共に自分の席へとまた座り込んだ

「……ふう」

会田くん、原稿をまた書き直すって言ってたけど……大丈夫かな

そんな事を思っていれば、職員室の入り口からノックの音が三回響いて顔をあげる

「?」

それは普段生徒が来るはずもない環境の中では聞き慣れない音だった

「は、はーい」

回りの先生方も担任している教室へと立っているせいか、今は自分くらいしか手が空いている人間が居ない

そんな事実に少し冷や汗を流しながらそのノックに返事をして入り口へと駆け寄れば

「…………」

見えたのは黒い肌
髪、服、靴

「……っす」

そして瞳

「……会田、くん……」

思わず掠れた声に口元を覆えば、あなたは何故か緩やかに笑った

「……今日はありがとよ」

どこか照れ臭そうに

「……アンタが居てくれて、良かったと思う」

少し寂しそうに

「……そんな」
「確認したら、話の真ん中くらいが結構焼かれて抜けてたんだけどよ……また書き直す」

でも、そこに絶望の色は混ざっていなかった

「……そうですか……」
「敬語やめろって、アンタ教師だろ」

それに安心して、またゆっくりと笑う

「……そうだった」
「変なやつ……」

今はただ、そうすることしか出来ない気がして

「……あのよ」

けど、彼の口から出た台詞に

「アンタ、生活指導なんだろ?」

俺は軽く首を傾げた

「?うん、そうだけど……」
「だったら」

そして重ねられるように発された声

「俺の、生活指導してくれよ」

真っ直ぐな目

「……えっ?」

その全てに、すぐには追い付けなくて固まる思考


「だから、放課後に生活指導してくれよ」

正直、意味がわからなかった

「な、なん……ごめん、どういうこと……?」

それが声によって隠すことなく表に出た時

「……だから、アンタ生活指導」
「うん、それは分かる」
「ってことは、生活指導部屋をアンタは使えんだろ?」
「ん?うん、まあ、そう……なるね」
「じゃあそこで、放課後添削なりなんなり……もう公園とか図書館で集まらなくとも……これからは学校でまとめて出来んだろうが」
「……ん、んん……!?」

そのあまりの言葉の数々に、思わずものすごい声が込み上げた

「……なんだよ」

そんな反応に会田くんは、片方の眉を不機嫌そうに上げて

「……生徒の俺とは、もう関わりたくないってか」

けど、それを聞いたと同時に無意識に大きく首を振っていた

「ち、違う違うよ……!そうじゃない……!」

頭がついていかない
この子は一体なにを言っているんだ
それが正直な感想だった

「……そうか、良かった」

けど、君がそんな風に笑うから

「……あー、今日は用事があるから、明日から始めるってことでもいいかな……?」
「ああ」

俺は、人間としてだけじゃなく教師としても
この子と関わっていった方がいいのかという考えが頭をよぎる

「学校にも来る理由が出来て原稿も書けるとか、一石二鳥だぜ」

けど、そこには前のような苦しさはなくて

「……おい」
「ん?」
「嫌だと思ってんなら、今そう言えよ」

夢にひたむきな君が可愛く眩しくうつった時

「俺は学校の方が都合がいいが……アンタが疲れる原因になる位なら、外で会ってもいいんだからよ」

緩やかな微笑みさえこぼれた


「……ううん、大丈夫」

逃げてばかりいちゃ駄目なんだ
しっかりしないと

「……無理してねえだろうな」
「してないよ」

君がその大切さを教えてくれた

「……なら、構わねえけどよ……しんどいと思ったら言えよ」
「気を遣ってくれてありがとう」

夕日が沈む5分前

「……じゃあ、帰る」

悲しみと苦しさをはらんだ日差しが傾いて

「……気を付けて帰ってね」

夜が入れ替わるように顔を出した











会田くんが去ってから待つこと数十分

「悪い、待たせたな」
「ああ、いえ」

颯爽と職員室に帰ってきた斎藤先生の姿に薄く笑う

「ホームルーム中に馬鹿共が喧嘩おっ始めやがってよ、説教くらわしてたらこんな時間になっちまった」
「あはは……大変ですね」

この人はどれだけ大変な出来事があっても、まるでそうは感じさせないような顔をして周囲へ振る舞う

「さっさと行こうぜ、飲み屋が埋まっちまう」

ダルい面倒臭い鬱陶しいと口は悪いけど

誰かが暴れたり喧嘩をしたり事件が起こった事を聞いた時

「ほら立てよ」

あなたは誰よりも真っ先にその現場へと向かって、被害を最小限に抑えてきた

「……はい」

消極的な他の先生たちとは明らかに違うその対応

「お前酒は」
「まあ、人並みに」

斎藤先生が生徒から尊敬されている理由は、怖いからとか、昔凄い不良だったとか、確かにそれもあるんだろうけど

「焼き鳥屋でいいか?」
「あ、はい、俺はどこでも」

でも、それだけじゃない気がする

「しかし暑いなあ」

学校を出て、駅の近くにある繁華街を二人で歩いている中、隣をチラリと見上げた

「明日からはもっとラフな服装で来るかな」

少し緑掛かった無造作に伸ばされた髪が風にふわりと揺れる

少しきつめの目元も、長い睫毛が和らげていた

「…………」

日本人らしからぬ高い鼻と薄い唇
彫りも深くてまるで外国人のようなその横顔は、女性に好まれそうな……よく恋愛小説なんかに出てくる男性像にぴったりと当てはまるように思えた

「なんだよ、俺の顔になんかついてるか?」

体育担当なだけあって体格の良い体

「ああ、いえ……」

悪戯に口にくわえられた煙草

「斎藤先生、モテますよね……」
「……ああ?」

特に深く考えることもしないまま、口をついたその台詞に片方の眉だけ上げた斎藤先生が、俺へと視線を向ける


「あ、いえ……その、先生は、男性として魅力的じゃないですか……だから、生徒とかにモテるんじゃないですか?」

今まで気にしていなかったけど、格好良い人だ

「バカ、餓鬼にモテても嬉しくねえだろ」

外見も

「おっ、そこ曲がってすぐの店だ、入るぞ」

そして、内面も

「いらっしゃいませ!」
「二人」
「お二人ですね!カウンターとテーブル席がありますが!」
「テーブルで頼む」

人混みに流されるように入った居酒屋さんは、週末が近いとあってか賑やかで

「おい中村、行くぞ」
「あっ、はい」

こういう場所には普段あまり来ない俺は、正直少し萎縮していた

「なんだお前、どこでもいいつったわりにはこういう店苦手だったのか?」
「ああ、いえ……」

それを見事に見抜かれて、苦笑いと一緒に言葉を濁した

「まあ今日は運良くテーブルだから安心しろ」

その言葉通り、カウンターの奥に通された場所には個室に仕切られたテーブル席が何席かあって

「よいせっと、ほら座れ」

その内のひとつに腰掛けた斎藤先生に続いて、俺も向かいへと腰掛けた

「いらっしゃいませ!お飲み物はどうされますか?」
「生中、お前は」
「あ、俺は……レモンサワーで」

そう告げたと同時にまたニヤリと目の前で笑われる

どうやら人並みだと言った酒も、あまり得意ではない方だとバレてしまったようだ

「最近の若いのはほんっとに飲まねえんだなあ」
「あ、あはは……」
「まあそれはどうでもいいか、ほらメニューだ、なに食うか決めろ」

ほどほどに突っ込まれた所で、メニューを覗き込んで品定めを始める

「お待たせしましたー!」

それとほぼ同時にやってきた飲み物と、明るい店員さん

「ご注文はお決まりでしょうか?」
「ああ、じゃあこれとこれ……あとそれから……」

斎藤先生は慣れたように、つまみを注文していく

「お前は」
「あっ、じゃあ……これとこれで」
「かしこまりました!」

遠慮する俺を見越してか、結構な量を注文してくれた目の前の人のお陰で、俺はごく限られたものしか注文せずに済んだ

「よーっし、んじゃあ、乾杯といくか」

流れるような仕草で傾けられたグラス

「お疲れ」
「あっ、お疲れさまです」

カチリとそれを合わせて、俺はアルコールを一口飲み込んだ

さて飲みに誘われたはいいが、自分はよく話す方でもないし話題なんて見つからなさそうだ

「それにしても、今日は見直したぞ」
「えっ?」

そう思っていた矢先に向けられた言葉に、思わず驚いて間抜けな声が出てしまった

「白柳を謝らせただろ」

けどその台詞を聞いて、ああと今日の出来事を思い返す

「……あれは、彼が悪いことをしたから……彼は会田君に謝るべきでした、絶対に」
「白柳はああ見えて頑固でプライドが高い、その上敵対してる会田に謝るなんざ……今まで考えられなかった事だ」

何度思い出しても、あんなに酷い行いは許せなかった

それは教師としてというより、人として

「お前があれだけ本気で、真剣に怒ったからこそ……白柳は謝った」
「……はい、起こった事はもうどうにもなりません……だから、どうしても謝らせたかった」

ぼそぼそと話しながらも、ぼんやりと机を見詰めて

「彼は酷い事をした……」

その言葉を何度も繰り返す

「……ああ、だがどうして、白柳はあんなことをしたと思う」

だけどその台詞に直ぐ様顔を上げて、口を開いた

「俺には理解出来ません」

彼の行為は俺のなかでは絶対的な悪
そう思う気持ちが強すぎて

「待てよ、アイツは確かに酷い事をしたかもしれない……だがそれにも、なにか理由があるとは思わねえか?」

だからそう言われた時に初めて、そんな考えがあることに気付くことができた

「……理由、ですか」
「非行に走るには、誰かしら理由がある……そうは思わねえのか?」

俺はすぐに視野が狭くなる
昔からそうは言われてきたけど、意識しないとすぐにその欠点を忘れてしまう

「……まあ、そう言われてみれば……」
「お待たせしましたー!軟骨の唐揚げと枝豆です!」

良いタイミングでやってきた食べ物を早速箸でつまみながら、斎藤先生はゆっくりと口を開く

「俺ももう3年の付き合いになるが、根は悪いヤツじゃねえんだよ、白柳も」

賑やかな周囲で響く、大きな笑い声

「…………」
「ただ、今まで育ってきた環境が悪いだけだ」

明るい照明

「なあ中村」

まともに見えて、まともじゃない世界

「うちの学校の生徒にはよ、なにが足りないと思う?」

逃げられない重圧
失敗を許されない挑戦

「学力か?それとも素行の良さか」

こんなにも狂った世の中で、平等や正しさを教える矛盾

「間違っちゃいないが、どれも違う」

俺たちは、狭く苦しい場所に立たされて

「奴らに足りないのは、『自信』だ」

その上を、子どもたちと一緒に歩まなければならない

「勉強で躓いて、誰に褒められるでもなくここに入学して……今度は不良のレッテルに苦しみながら暴力でそれを発散する」

グラスについた水滴がしたたり落ちていく

「不安なんだ、奴らは自分自身に自ら可能性を見出だすことが出来ない」
「…………」

まるで俺の意識のように

「ほとんどの奴らがなにをしても無駄だと思ってやがる、回りの大人やエリート気取りに馬鹿だ屑だと言われ続けてる内に、本当に自分はそうなんだと享受しちまってるんだ」

吐き捨てるように、あなたは言う

「……馬鹿馬鹿しい」

まるで現実を切り裂くように

「アイツらは、誰一人として屑でも馬鹿でもない」

暗闇を照らして導く光のように

「ただ、自分に自信が持てないでいるだけだ」

あなたは、とても冷静で
それと同時に情熱的

「そんでもって、その自信を取り戻させてやるのが……俺たち教師の仕事……俺はそう思ってる」

そして素晴らしい人間でもある

「んで、それを目標に、地道に今日までずっと、アイツらと向き合ってきた訳だ」
「……はい」
「そしたら今日、俺より先に、新米のお前が俺の理想をすんなりかなえてんじゃねえか」

なんて器の広い人だろう

「ビビったぜ、あの会田が……いつの間にかしっかり自分の進む方向を決めて立ってたんだ」

生徒に好かれる筈だ

「前まではまだ不安定で、喧嘩癖も直らなかったが……お前と会ってからなんだろうなあ……アイツは今、よく頑張ってる」

だってあなたは、こんなにも生徒を愛している

「いつ知り合ったんだ?」

俺なんかよりもずっと深く

「……俺がここに赴任して、すぐだったと思います……」
「そうか、だろうな」

あたたかく


「昔から反省文なんかだけは律儀に提出するし、出来も良かったんだよ」

不意にこんな人と向かい合って座っている自分を、とても恥ずかしく思った

「そうか、会田が作家かあ……」

自分のことばかり考えて疲れ切っていた自分が、とてもちっぽけな存在に思えた

「……斎藤先生は」
「ん?」
「素晴らしい先生ですね」

情けなくて惨めで

「……生徒が慕う筈です」

涙が込み上げた

「……そうか?何年も働いてるわりに、誰一人救う事も変えることも出来なかった」
「……そんな」
「俺は無能な教師だと自分で思うぞ」

なんて自分に厳しいひと

「俺がいくらお前らは出来るやれるって一人で後押ししようが、向こうに響いてないならそれは無意味だ」

俺とは大違いだ

「だがお前は今日、会田の心を動かした」
「…………」
「あそこまで信頼関係を築くのに、俺には3年じゃ足りなかったのにも関わらず……お前は数ヶ月でアイツの懐に飛び込んだんだ」

ちがう

「……才能のなせる業だ」
「先生……」
「俺はあと何年経てば、お前みてえになれるかな」
「斎藤先生……!」

思わず声を荒げては、おつまみに伸びていたその骨張った手を両手で押さえ込む

「…………」
「……俺は、本当の教師という仕事の意味を今、あなたに教わりました」

切ない

「あなたは俺が人生で出会ってきた教師の中で一番素晴らしい先生で、素晴らしい人です」

こんなにもひたむきな愛が、努力が
伝わってはいてもこちらにそれが跳ね返ってくることはない

「だから……そんなこと言わないでください……お願いします……」

もし俺が教師としてではなく、会田くんの時のように
他人として出会っていれば、彼らの態度は今と違っていたのだろうか

「俺ももう逃げません……生徒たちと全力で向き合いますだから……っ!」

大人と子どもの関係の中ではあれだけ対等な視線も

「……だから、先生の生徒に対するその気持ちを、否定したり蔑ろにしないでください……」
「…………」
「あなたは、もっと報われるべきだ……」

学校という門をくぐるだけでこうも変わってしまう

「報われるべきは俺じゃない、アイツらだ」

与えられた3年という期間はあまりに短くて、儚くて

「……俺がしてやれるのは励ましと、必要とされた時にサポートする事」

尊くてかけがえのない時間

「……お前が白柳を許せないのは分かる、確かにアイツのした事は最悪で最低だ」
「…………」
「だが、アイツも苦しんでる」


あの学校には、深い闇が広がっている

「目標を持たないままフラフラ歩き続ける生き方は、想像以上に苦しい」

絶望、敗北感

「アイツらが憎んだり、無気力になったりしちまうこの社会や環境は、俺達大人が作り上げた」

そして劣等感

「確かに世の中に出てもろくな人間はいねえし、汚い金を奪い合う場面に遭遇するかもしれない」

弱者に突き付けられる嘲笑

「それでも、良い奴に出会う事があって、努力すれば報われて、幸せになれる機会も無い訳じゃない」

思い込みで自分の可能性を縮める危険性

「それを教えてやらねえと、アイツらはずっと自分に自信を持てずに、幸せなんて無いと思い込んだまま生きていっちまう」

みんな本当はわかってる

「……だから許してやってくれ」
「…………」

正直者は馬鹿をみる世の中だってことくらい

「許して、会田を受け入れた時みてえに……白柳も認めてやってくれ」

どうしてあなたは、俺にこんなことばかり言うのだろう

「……会田と白柳が変われば、この学校は少しずつ動き始める」

あなたの方が俺なんかよりずっと信頼を得ているだろうに

「……分かるんだ、俺じゃ無理だ」

どうして俺に語り掛けるのだろう

「アイツらと俺は、同じ土台に立ち過ぎた……だがお前は違う……新しい視点を持ったお前がアイツらには必要なんだ」

俺は俺みたいな人間が居たところでなにかが変わるとは思えない

「……もし俺と意見が同じなら、協力してくれないか」

力が込められた指先に視線を向けた

「…………」
「中村」

あなたにそんな風に言われて

「……勿論です」

断れるひとなんて、まず居ないんじゃないかと思ってしまう

「……初めてなんだ」
「……?」
「うちの生徒が教師に心を開いたのも、……俺の話を、こうして全部真面目に聞いてくれた同僚も」

本当は、あなたも生徒と同じくらい

苦しんでいたんじゃないだろうか

「……どうしても辛くなったらすぐに言え、俺もできるだけ察するが、心まではわからねえ」

誰にも理解されず

「……はい」

孤独と戦いながら

「……サンキュー」

ずっと

「お待たせしましたー!お茶漬け……」

そんなどこか神妙な空気を破くように入ってきた店員さんの元気な声に、不意に居酒屋という現実に引き戻される

「…………」
「?」

何故か女の店員さんは、お茶漬けを持ったまま俺達の手元を唖然と凝視して、そっとそのお茶漬けをテーブルの端に置く

「…………」

それを視線で追いかけていけば、自然とうつる自分たちの今の状態


「…………」
「……」

お互い乗り出すように顔を近付けて、手を握り合う男と男

「……あ」

男と、男

オトコと

「うああぁあっ!??」
「うおっ」

そこでようやく、端から見て自分たちがどのように見えていたかを理解して勢い良く手を振り払ってのけぞるように身体を後ろに引いた

「すっ、すみませんって、手なんか握っちゃって俺……!」
「あ?おう、俺も知らねえ間に握ってた、すまん」

焦る俺とは対照的に、冷静な顔で今気付いたかのようにそう返す斎藤先生はある意味凄いメンタルの持ち主だ

「い、いやあ本当……ゲイに間違えられたらどうしましょう……!すみませんでした……!」

俺はといえば小さなことばかり気になる体質が抜けなくて、店員にわざと聞こえるような声でそう言わないと、心が落ち着かない始末

「……ゲイ?」

けど、何故かその単語にふと反応を示した目の前の人に

「……ゲイか」

今度は俺が凍り付く

「いいな……俺にもそういうパンチのあるキャラがあれば、生徒ともうちっと距離が詰められるかもしれねえ……」
「……えっ?」

真面目な顔をしたまま、不真面目な言葉を発する唇に唖然とするしか出来ない

「……よし、俺は来週からゲイキャラでいく」

な、なにを言っているんだ
この人は

「……さ、斎藤先生……?」
「ん?」

その名前を呼んでみても、もう先ほどの呟きは頭に残っていないようで

「……あ、い、いえ……なにも……」

俺は話を引っ込めるしかなくなってしまった


「あー食った食った!」

その後も、適当な会話をのらりくらりと続けながら、気付けば斎藤先生にお会計を済まされていて、頭を下げながら店の外へと出る

「す、すみません……」
「気にすんな、俺が誘ったんだ」

キラキラと輝くネオン

「今日は楽しかったぜ」

周囲の喧騒

「あっ、はい、こちらこそ……楽しませて頂きました」

眩しい世界は苦手だ

「お前、帰りは電車か?」
「ああ、はい」
「ならここでお別れだな」

あなたは相変わらず女性に好まれそうな笑みを浮かべて、爽やかに言う

「……おっとそうだ」

その体が半分踵を返した時、思い出したようにまた顔がこちらを向いて

「……お前や俺はあくまでも教師だ」
「…………」
「それを忘れるなよ」

今度は男性に好かれそうな真っ直ぐな眼差しが、俺の暗闇を照らす

「……はい」

その忠告をゆっくりと受け止めて、意味を噛み砕く

「じゃあな」

嗚呼
あなたは最後の最後まで

「気を付けて帰れよ」

完璧なまでの教育者だ


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